「阿吽の呼吸」とか「以心伝心」とか。
外国でも同じような意味合いの言葉があるかどうかは知りませんが(調べてもいない)、日本にはこの類いの言葉があります。
最近は「忖度」と言う言葉をあちこちで聞きますね。
(既にもう古くなってきた感がありますが)
忖度というのは今更調べてみますと
「人の気持ちを察すること。胸中を推し量って適切に取り計らうこと。」
(新語時事用語辞典)
世間では悪い意味で使われていますけれど、
本来、このような態度や心構えというのはすごく大事なことだと思うのです。
「相手の気持ちを推し量る」ためには、まずは相手のことを知らなければ不可能です。
生活や行動の指針となるその人の信念だとか、考え方、癖、好み。
それらを分った上で、初めて相手の行動や心理を想像出来る。
職場での上司や同僚・部下というのは、当たり前ですけれど”赤の他人”。
他人に対して、お互いに「忖度」とか「察する」なんてのは難しいですよね。
そこまでお互いのことを知り得ないから。
まあ、あくまで仕事の中での事に限られてくる。
もちろん長い付き合いで、家族以上に理解し合って、相手の気持ちが手に取るように分る・・・なんて関係もあるでしょうけれど。
私は最近、これらの言葉は、人に求めるべき物ではないと思い知りました。
少なくとも、誰であろうと相手がしてくれたら「すばらしい」事であって、
忖度なんてしてくれない事が「当たり前」なんだなと。
相手が忖度してくれたらプラス評価にはなるけれども、忖度してくれなくてもマイナス評価をするべきではない。
例え家族であっても(もちろんそういう家族であって欲しい、また自分もそうありたいと思うけれども)そこまで求めてはいけない。
ある出来事(同じ原因で)が2回続けて起きたことで、自分の常識と人の常識というのは全く違うのだと再認識しました。
まずは、相手を知ること。
そこからだ。