ビリヤードで筋肉痛

ビリヤードにはまった中年男の奮闘記 時々車の事も。

ああ、人生

 皆さんおはようございます。

すがすがしい朝でございますよ。

 

ビリヤードをしている方々にも様々な年齢層があるでしょうね。

子供から爺さん、婆さんまで・・。

私はと言うと、過去のブログ内容を読んで頂くと大体の年齢は分ってしまうでしょうが、まあ立派な中年ですわね。

場合によっては、身体的にいつ何が起きてもおかしくはない年頃です。

見た目は若く見えても間違いなく中年でございます。

 

結婚が遅かったこともありまして、子供達もまだまだ年長さんと小学校の高学年。

そうなるとですね、いろいろと難しいんです。

自分の年と子供の年を計算していきますと、この子らが大学受験なんて時に

私は生きているのかい???なんてね。

 

私自身はそれほど生きると言うことにあまり執着はしておりませんので、どうでも良いのですが、子供達には教育という機会を与えてあげるのが最低限の親の務めだと思っています。

出来ればそれだけではなく、やはり家族としての思い出をね。

子供達が大人になって、それぞれの家庭を作って、今の私達のように子育てをしていく。

その時に、「ああ、自分はこうやって無償の愛で育てられたんだなあ」って初めて気がつく。

私がそうであったようにね。

「親の心、子知らず」

子供達が親と過ごす期間というのは、場合によっては高校生までですよね。

大学に入って家を離れ、子供達の世界というのは爆発的に広がります。

そうやって子供たちそれぞれの人生観や世界観を作り上げて行きます。

 

そう考えると、親と生活する時間の何と短い事よ。

ただ、私としてはそれらも大事にしてあげなければいけないと思う一方、

自分の人生も楽しみたい。

それが車だろうが旅行だろうがビリヤードみたいな趣味であろうが。

大事なのはそれぞれを並行してやって行くこと。

お互いに何かを犠牲にしなければいけない事はあるでしょうけれど、

それであきらめてしまわない事。

諦めて全てやめてしまったら、0になってしまう。何もなし。

きっと後で後悔することが目に見えている。

 

「歳をとった自分が何もできないのは、子供たちに時間を取られて自分のための時間がなかったからだ」と言い訳がましい事を言っている自分の姿が想像できる。

嫌だわー。そう言うの。

自分で人生を楽しめなかったのなら、何もしようとしなかった自分のせいだよね。

 

ビリヤードをしていたら人生が楽しいかと言われたら・・・まあ楽しい。

でも、ビリヤードで私の人生は語れない。

単なる趣味の一つであって、優先度は低い。

だけど、いずれ子供たちがそれぞれ一人立ちした時にも、

長い間頑張ってきたと言う何かがあればいいなと思うんですよね。

その一つがビリヤード。

 

私が作ったビリヤード蔵は、かなり長く使えるでしようね。

ちゃんと手入れをすれば、何十年単位で。

今は興味がなくても、子供たちが思い出す時も来るでしょうか。

自分が小さい時にパパが良く撞いていたなってね。

 

面白いじゃないですか。

どこかでカコン、カコンて音が聞こえたら、撞いている私を思い出すなんてね。

パパはビリヤードが好きだった(決して、うまかったと言われ無さそうなのが辛い)。

それでいいと思うのですよ。