ビリヤードで筋肉痛

ビリヤードにはまった中年男の奮闘記 時々車の事も。

自動車学校のおもひで 通ってなかった編

 

私が車の免許を取ったのは大学2年生の時でした。

多くの人が1年生で取ると思うのですが、なぜ私は2年だったのか・・・。

 

実は、自動車学校の費用を私が使い込んでしまったんですw。

一年生の時に親から自動車学校の費用を振り込んでもらいました。

それを使い込んでしまった私は、両親との電話で、「いま何段階目」なんて話をしておりました(嘘だったのですけれどね)。

自動車学校が何段階まであったか忘れてしまいましたが、ある時からそれが全然進まなくなってしまったのです。

当たり前ですわね。行ってないんだから。

それで、「お前、本当に行ってるの?」とばれてしまいました。

今考えたらひどい話ですわ。その節はすみませんでした。

でも、今ちゃんと面倒見てるから許して下さいw。

 

そういうわけで、2年生になってから自動車学校に通い始めました。

さて、話はちょっとはずれますが、家と離れたところに牧場がありました。

父の本職は別にありましたが、そこで作物を育てたり、馬を飼ったり(仕事と趣味を兼ねて)。

そこではトラクターなどを使っていましたが、父は私が小学生の頃からトラクターなどの運転をさせてくれていたのです。

(もちろん敷地内だけです)

トラクターというのは馬力はすごいですが、速度はそれほど早くありません。

それで畑を耕したり、重いものを引っ張ったり、いろいろな事をするのです。

そう言う仕事を運転しながら手伝っていたためか、私は運転技術に関しては何も問題なくスムーズに進みました。

まあ、学科もね。

段階が進むと路上教習ですが、教習のコースの峠を登った先で指導官とタバコ吸ってましたからね。いい時代でしたわ。

 

さて、最終の技能試験でございます。

どこの自動車学校でも同じかは知りませんが、その学校では前の順番の人の路上試験の後部座席に同乗します。

こんな感じでやりますよーって言う心構えさせることと、このルートで何を気を付けなければいけないかをチェックさせるためだと思います。

学校からすれば親心と言うかね。

私が乗った車の受験者はおばさんでした。

何だか嫌な予感がしてきましたよw(一般のおばさんの運転がどうのと言うつもりはありません。”そのおばさん”の挙動に不安感を抱いたのです)

その不安は的中する事になりました。

通常の片側一車線道路から、一方通行の河岸道路へ入ろうとしたその時、曲がり切れずに先の自宅の生け垣に突っ込んで行ったのですw。

これで良く試験を許可したもんだ・・・。

試験はその場で即中止。おばさんは落第です。

さあ、次の私はどうすんのさ。

生け垣に突っ込んだのが原因か試験の緊張か分りませんが、ドキドキしながら運転しましたよw。

まあ普通にやれば良いだけですけれど、おばさんに余計なプレッシャーを与えられてしまいましたよ。まあそれでもなんとか合格できました。

 

後日、今度は別の場所で学科試験。

それも合格したのですが、面白いのは大学に合格した時より嬉しかった事w。

(大学に合格して一定の安心感があった上での免許の合格が嬉しかったのかなと思います)

 

そんなこんなで、私の行動範囲が加速的に広がっていく可能性を秘めた免許

getだぜい!!

 

追記)

ついでにバイクの免許もとりたかったのですが、親の大反対で断念。

これに関しては、現在も取っておけば良かったなあと後悔しています。