私が(恐らく生まれつき)両側の難聴である事は以前どこかで書いた気がします。
中耳炎を繰り返したせいと思っていたら、息子にも難聴がある事が判明し、どうも遺伝的なものであるとの事で大学の耳鼻科で遺伝子検査も依頼されました(研究のため)。
特に自分では不都合とは思わなかったのですが、授業の内容が聞き取れないことは良くありました。
ただ、困った事に生まれつきそう言う感覚なので
「他の皆んなもそうなのだ。広い教室で先生の声が聞こえないのは普通の事。授業とはそう言うもの。」
と思っているんですよね。
今思えば全然違うんですよ。
他の子達は先生の言っている事、全部聞こえているんだよね。
ひどい話でございます。
それでもそこそこ成績良かったのは、なんだったんだ?
その他に影響があったとすれば、”舌足らず”です。
私は舌足らずなのだと思っていたんですが、どうも違うらしい。
私の難聴は感音性難聴と言って、高音が特に苦手です。
音楽ではシンバルの音とか近くでしか聞こえないし、ピアノも鍵盤の右端から4つ位は叩いても音ではなく「カチカチ」としか聞こえません。
声で言うと、息を強く使った言葉「シュ」とか「シ」とか「チ」「ヒ」「ティ」などの区別がつきません。
中学生になり、英語を習い始めた頃の数ヶ月間、sheとheの発音の違いが分かっていませんでしたよw。
姉にシー・ヒーと紙に書いてもらって初めて知ったんです。
必至(ひっし)をひっちと言っていたり。
致と言う字に至と言う部首がありますので、これも一括りに「ち」だと大人になるまで思っていたのです。
あまり障害の話をしたくないですが、(現象の一つとして)全く耳が聞こえない人と言うのは言葉を話せません。
聾唖と言って、耳で言葉が聞こえないために言語の習得が出来ないという事だそうです。
音というものが分からないから、出し方も分からないんでしょう。
結局、私の”舌足らず”は、この高音が聞こえないために幼少時から発音の仕方を知らないという事に原因がありそうです。
その様な事は挙げればキリがないのですが、それでも自分ではたいして気にもせず(どんだけのんびりしてんだ)。
さて、話は変わります。
先日の皮むき機のことを書いている時にΦと言うのが出てきましたよね。
”直径”の事ですけれど。
長い間、私は「パイ」だと思っていましたら、ある日本当は「ファイ」なのだと知りました。
ああ、そうなんだ。
また聞き間違えて覚えているんだなと、それ以降は「ファイ」と言うようにしました。
ところが、どうやら世の中にはΦと「パイ」と呼ぶ人も私以外にも一定数いるらしい事が判明。
そう言えば円周率πも「パイ」ですわね。
言葉って難しいですよね。
耳の良し悪し関係なく、いろんな読み方があるんじゃおじさんは困ってしまいます。
などと、突然終わる。
後日追記)
で、息子の方はどうなんだと言う事ですが、今の所は私が小学生の頃よりはマシな様です。一度も中耳炎にもかかってませんし。
耳がわるいなりに処世術は教えて行かねば。