私は良く動画を観ます。
世界のtop proの試合から、名のあるお店のウィークリーやマンスリーの動画まで。
マンスリーなんか面白いのか?と言われれば、
面白いものもあるし面白くないものもあります。
面白ければ見続ければ良いし、つまらなければ止めればいいだけですからね。
そういう店のトーナメントの決勝とか準決勝などの動画を観る事で、何となくの自分の立ち位置が分って来るんです。
私は一人でビリヤード蔵に籠っておりますゆえ、そうでもしない限り人と比べるという事が出来ないんですね。
一人きりで撞いているからには、世間の流れも知ろうとしないと本当にただの独りよがりになってしまいます。
そうやって動画を観ていると、いくらclassが自己申告であるとは言え「やはり私はまだA classは名乗れないな」と思います。
いったい私とA classの人と何が違うのか。
結局は「一つ一つのショットの成功率と精度」だと思います。
ショットと言うのは先玉が入りさえすれば成功かと言うとそうではありません。
ちゃんと次につなげられる所へ出せているかという事に加えて、出した結果次の玉の難易度がどうなんだという事も関係してきます。
A classのうまい人が撞いて、一つ一つ玉を入れて出していく。
入れはもちろん、その出しの精度が高いために難球を撞かずに取りきっていける。
素人が見ていて「ビリヤードなんて簡単じゃん」なんて思わせる様な取り切りこそ、精密な出しの上に成り立っているんです。
私の場合は、たまたまその様に取りきれる事もあるんだけれども、先玉を外してしまう、もしくは先玉が入っても出しがまずくて難球になってしまう。
結局はA classの人たちが撞いている玉より難しい玉を撞かなければいけなくなり、どこかでミスるというわけです。
私も上級者の取り方などを見ているうちに、だいたいの取り方やアイデアが浮かぶようになりました。
ただ、それを実行できる力がないんですね。
そこで私たちB classがやりがちな勘違いは・・・
「やろうとしている事や考えている事(実際にやっている事)はA classと同じ。
たまたまあそこで強すぎてしまったために取りきれなくなってしまっただけで、自分はほぼA classと言って良いのではないか?」
これです。
壮大な勘違い。
当たり前ですけれど、「考えている事」と「できる事」は全く違うんですね。
いくら「そうなんだよ! 私もそうしたかったんだよ。」と言ってみたところで、
ビリヤードと言うのは現実にそれを目の前で実現させなければいけないんです。
その場での結果が全て。
そんな訳で、最近の私の目標として「簡単な玉こそしっかり出して繋げる」。
難しい玉は誰にでも難しいんですよね。
それを入れられれば嬉しいし、他の人にも見せたくなるだろうけれども、
まずはやさしい玉の精度を上げていく事。
思えばテニスでもそうでした。
素晴らしいスーパープレイでの1ポイントも凡ミスの1ポイントも価値は同じなんですよね。
もちろんゲームの佳境でのポイントと言うのはまた違いますけれども。
そんな訳で、難しい玉を入れられるのがA classなんじゃなくて、入れて当然の玉をちゃんと入れて出せるのがAじゃないかと。
それに加えて難しい玉を入れられるような人が、もっと上に上がっていくのでしょうね。
でもそう考えると、なぜかやる気出ますでしょ?
Aが身近に感じませんか(だから、気のせいだって)。