皆さんおはようございます。
先日、久しぶりに撞けたのですが、ネタどころか、ネガティブな物しか出てこなかったw。
まあ、朝からワンコの散歩→受け持ちの家事→仕事場で少し仕事→牧場に行ってにゃんこの世話と、餌やりの機械の工作(下記、参照)と草刈して。ブルーベリーをひとしきり摘んで。
牧場からの帰り道に仕事場から呼び出しが掛かりまして、また3時間ほど仕事
→朝から何も食わずで15時頃から2時間ほど玉撞き。
これはダメですね。
身体的にも、精神的にも全然落ち着かないので、当然ビリヤードもそうなります。
そういう時は続けてても良くないのでやめー。
さてまたビリヤード外のお話。
父の牧場は、もともと父が開拓で入り、母と二人で原野を切り開いたものです。
かれこれ70年ほど前に入植し、国が木を切り倒していってはくれましたが、その根を一つ一つ掘り起し(馬を使いながら。トラクターが入ったのは随分後だそうで)、畑にしていったんですね。
一体いつの話だよって感じですが、今でこそこんな生活が当たり前ですけれど、一世代前のお話ですよ。
「私にもその大変さを経験させよう」と、成長してから掘らせるようにとご丁寧に根っこを2-3本残してあったんです。
それを重機を使わず(当時はなかったから)、スコップや斧、のこぎりとトラクターを使って掘り起こしてみましたが、まあ大変な作業ですわw。
でも4駆のトラクターがあるだけ全然違うらしい。
当時はろくな道もなく、ぬかるんだ道だけ。最初は馬しか入れず。
私の伯父(父の兄)が戦地から連れて帰ってきた軍馬を譲り受けて、その開拓地に入りました。”勝連(かつれん)”と言う名前の軍馬。
戦争に連勝することを祈ってつけられた名前。
その馬と共に、土まみれになって開拓し苦労を共にした事もあって、父は無類の馬好きになっていきました。
父にとって、馬は相棒であり、助っ人であり、家族だったのです。
勝連はその象徴ですが、その何十年後に再び馬を飼い、自分で切り開いた牧場でできた牧草を与える時「ああ、勝連にこの草を食べさせたかった。ろくな草がなかったからなあ・・。」としみじみつぶやいておりましたよ。
たくさんの開拓者が入り、一人ではできない事はお互いに皆で協力しながら作業したそうです。そう言う思いは、体験した者しかわからない。想像を絶する時代です。
さて、開拓地周辺は時代と共に、それなりの道も通り、今となっては立派な舗装路です。
私でさえ、小さな子供の頃はでこぼこで、冬の横風が吹きつける中、手を引かれて泣きながら雪の積もったこの道を歩いた事を覚えています。
時代と共に、仲間の開拓者も土地を離れていった人も多いそうで。
開拓した土地を売り、他へ出てしまった。
今となっては、その土地で元の開拓者の家系が続いているのは大分減ってしまったようです。
そこに代わって入ってきたのが、団塊の世代と言われる方々。
もちろん違う分野で日本の経済成長の原動力となった方々です。
土地を買って入ってきたのですね。
別荘を建てて時々通ったり、退職してセカンドライフを過ごすために移ってくる方もいます。
父には「その土地を自分たちが原野から畑、もしくは牧場にまで開拓した」と言う自負があるわけですな。何十年も戦ってきた結晶であると。
あなた方が普段使っている道だって、自分が切り開いた土地を寄付して作ってもらったものなんだぞと。
早い話が、「すべて出来上がり、環境が整ってから金だけ払って入ってきて、でかい顔するな。」という事なんですけれど。
まあ気持ちはわかるが、まあまあまあ・・・といった感じ。
人の人生で力を注いで来た所がそれぞれ違う。
しかし同じ様な生活に憧れる。
そのために違うルートを通って同じ様な場所に行き着く。
それぞれの価値観で生きてきて、老後に近所同士になる。
面白いじゃないですか。
当然意見が食い違うこともあるでしょう。
お互いに、お互いの人生を尊重し合う気持ちというのが大事だと思います。
あなたの人生より私の人生の方が立派だったとか、有意義だとか、そんな判断が誰に出来るでしょうか。
お互いに主張しながら生活するより、お互いの人生を認めながら生活した方がより良い老後を過ごせそうですよね。
場合によっては、自分と違った人の人生に共感できるかもしれない。
正しいことは一つではない。
当然、正しい生き方も一通りではないんです。