仕事上の話です。
かなり抽象的な内容で申し訳ありません。
私のした事でお客さんが不利益を被ってしまいました。
私としても、良かれと思ってした事が裏目に出てしまったんですね。
その不利益・不都合を治すには私が勤務している会社の設備では無理でした。
前勤務していた会社の設備を借りるしかありません。
そこで、私の後任(正確には私の後任の後任)に手紙で事情を伝え、何とかそちらの設備でリカバリーしてくれるようにお願いしたのです。
しかしながら、その願いは届きませんでした。
その後任者は、「人が起こしたミスの尻拭いをするつもりはない。そもそもあなた(私)の選択した方法の適応に疑問があると思われ、そのために起きた不都合をなぜ俺が対応しなければいけないのだ」との事。
そんな訳で、快く迎えられるような事無く、表面的な対応をされただけでその方は私の元へ帰って来られました。
私としては誠心誠意させてもらった事で、適応も(意見は分かれますが)あるんです。
それでも起きてしまった偶発的なミスではありましたが、非常に心苦しい状況でありました。
その後任の人物とは一緒に働いた事はありませんが、違う勤務地で私の後任になったことがあります。
その引き継ぎの際の態度に色々とおかしな事があり、「変わった奴だ」とは思っておりました。
その頃のハヤリの言葉で言えば「ゆとり世代」とでも言うのでしょうか。
どの世代でも下の世代に対して似たような感覚はありますよね。
「今時の若いもんは」とかね。
彼に関してもそう言う類いの物だと思っていたのです。
世代の違いなんだろうと。
しかし、彼はその勤務地で、私が絶大なる信頼を置いていた上司とうまくいかず、本来の勤務年数を経ることなく異動させられてしまいました。
それを聞いた時には「ああ、やっぱり何か違うんだ」と思った物です。
今回の出来事で、私のお客さんは失意の中、私の元の戻っていらっしゃいました。
私もその様な事態になってしまった事を謝罪し、またそこへ紹介してしまった事を謝罪しました。
もっと私が信頼できる所へ紹介するべきでした。
必要な物は「施設」や「道具」ではなく”人”なんだと。
心のない人間にいくら有用な道具を持たせても、宝の持ち腐れ。
場合によっては、道具や施設ではなく、人に引かれて人が集まる事もあるのです。
今回のお客さんは、私がやろうとした事の意味や目的、なぜそうなってしまったのか、
どうしてその後任者に断られてしまったのか丁寧に説明をしましたところ、十分に納得してくれました。
そして私のお客として継続することになりました。
ただし、その不都合は私の所では何ともしがたい事でもあり、万が一の場合は信頼できる紹介先を再度ご紹介する事になりました。
さて、毎度感じていることではありますが、人は馬鹿ではない。
”におい”で人を嗅ぎ分けることが出来るんです。
この人物が信頼できる者なのかどうか。
はたして言っていることが本当なのか、ただのおためごかしなのか、ごまかしなのか。
いったい何が違うのか。
その答えは、かっこ良く言えば「心があるかどうか」です。
本気で自分の事を考えてくれているのかどうかと言う嗅覚は誰でも持ち合わせているのだと思うんです。
子供でもね。
本気で接してくれているか、片手間で受け流しているだけなのか。
親の熱量を子供は嗅ぎ分けている。
特に同じ匂いのする人同士ではその反応が強いと思うのです。
共感と言うのか、共鳴というのか。
以前、↓こんな悲しい男の話を書きました。
これは別の人のお話ですが、結局信用されない原因は言葉が軽く本気度が全く伝わってこないからなんですね。
時々ものすごい熱量で熱く語りますが、全く行動が伴わない。
私より年上の人ですので、どの世代にもいるんです。こういう人。
心が伴った付き合いをしたいところです。
それ以外の付き合いは時間の無駄とまで思える最近のオヤジでした。
もうそんなお年頃だし。
追記)
読み直してみると、「俺が困っているのに助けてくれなかった奴はバカヤロー」って恨み言を書いているだけでしたw。