ビリヤードで筋肉痛

ビリヤードにはまった中年男の奮闘記 時々車の事も。

なぜ撞き続けるのか

私はなぜビリヤードを続けるのでしょうか。

その理由として

①撞く事そのものが楽しいから

②誰かに認められたいから

大きく分けてこの二つではないでしょうか。

 

まずは基本的にビリヤードが好きだし、楽しいから。

何らかの成果が形(ビリヤードの場合は勝つ事や、マス割りなど)に表れて、満足感が得られる。

それだけでも続けられるかもしれません。

 

②に関して、

努力をして幾らかでも成長した。

それを誰かに認めて貰いたい、成長や努力を褒めてもらいたいと言う気持ちがあるのではないでしょうか。承認欲求とでも言うんでしょうかね。

仕事でも勉強でも同じ。

それらで結果が出ればその成果は自分に返ってはきますけれど、おそらくそれだけではない。

仕事なら、ありがとうと言う言葉であるとか。

そんな言葉で人は達成感を感じたり、その先への糧としているんだと思います。

それが他人による評価と自己評価と、配分は人によるのでしょうけれど。

 

なんとなく心理としてはありませんか。

努力した結果、目標としている人に少し近づいた。

試合に勝てた。

勝てなかったとしても、以前と比べて随分成長したよねと褒めてもらえた。

誰も褒めてくれなくても、自分で成長を実感できた。

反面、成長を実感できなかったら、今まで何をしてきたんだと言う自責の念を持って反省し、どうしたら良いか悩む。

その繰り返しなんだろうと思います。

 

私自身の心の奥深くを探りますとこんな感じ。

誰もがそうだとは思いませんが。

 

ビリヤード自体がマイナーであるけれど、世間ではちょっとイカしたスポーツ?と認識されて、またちょっと大人の雰囲気と不良っぽい危ないイメージとが混ざったものである事もポイントかもしれません。

 

さて問題は、多くの皆さんと私は全く状況が違うと言う事なんですね。

それはいつも書いている事ですが、私が「ビリヤードボッチ」だと言う事。

周りに相手をしてくれる人がおらず、ビリヤードのことを知っていたり評価ができたり一緒に一喜一憂したりする人が誰一人いないと言うこと。

せいぜい、ビリヤード蔵から自宅に戻ってきて、妻に「今日は調子が良くてね。マスワリが何回出たよ。」「へえ~すごいね」位ですw。

妻の「すごいね」の軽い事w。

 

不思議に思うのは、その環境で誰にも褒められる事も認められる事もなく続けられているという事。

それこそ、評価するのは自分自身。

これは一体なんなんだろうかとね。

 

学生の頃からビリヤードは好きで、いずれは自宅にビリヤード台をとは思っておりましたが、おそらくその頃は一種のファッションの様な物だと思っておりました。

撞いて楽しければそれで良いし、ただの趣味だし。

台がある生活と言うのも、インテリアも兼ねた一種のステータスみたいなものと思っておりました。

そんな訳でブランクを経てから、ビリヤード蔵を作ってビリヤードを再開した時には、これほど自分がのめり込むとは思っていなかったのです。

どうせ相手もいないしすぐに飽きるだろうと。

 

それが、今どうでしょう。

全く熱は冷めず、生活の中の重要度としては上位ではないものの、暇を見つけては一人玉を撞いているありさまです。

もう5年程w。

おまけにこんなブログまで書いているしね。

 

いったい何のために?

どうして上達したいと思っているのか。

どこの試合に出る訳でもなく、今後も誰かに認められる機会もないはずなのに。

 

こればかりは、自分でもよくわかりません。

ただ心の奥に、いつか誰かに認められたいと言う気持ちは間違いなくあると思います。

ただし、それはビリヤードの事を分かっている人の評価でなければ価値がないとも