ここの所、高齢ドライバーによる交通事故のニュースが連日報道されています。
いたたまれないのは、その犠牲になっているのが子供を含む若い世代と言う事。
同じような年頃の子供を育てる身としては、その様な事故のニュースを見る度に胸が締め付けられる思いです。
もし自分の子供達が犠牲になったら・・・想像出来ませんし、想像したくもない。
あるいは、自分が加害者になってしまった姿を描いてみると、落ち込んでしまいます。
しかし、想像ではなく現実に事故に巻き込まれてしまっているご家庭がある。
そんな経験なんてしたくないのに否応なしに巻き込まれてしまう。
それはまさに戦争の犠牲者と同じ。交通戦争とは良く言った物です。
80年90年生きて、人生の終わりが近い老人がこれからの世界を担うべき子供達を犠牲にしてしまう。
その社会の在り方というのはやはり不自然だと思うんです。
高齢者だからと言って皆が不適合と言う訳ではありません。
ご高齢でも頭も体も健康な人は大勢いますし、若い人でも高速で人の車を煽って止める様な狂った人もいる。
何とか運転の不適合者を抽出する方法はない物でしょうか。
人間社会はあまりにも急ぎすぎる。
車や飛行機などの移動手段から、コンピューターやスマホなどの情報に至るまで、何から何までスピード勝負。
早いことは便利ではあるけれども、それは何のためなんだろうか。
突き詰めれば”欲”なんだと思うんです。
今の世の中、スピードがなければ勝ち上がれない。
でも勝つって何?お金を稼ぐ事でしょうか。
社会全体がその便利さを知ってしまい、それに捕らわれてしまっている以上、これからもこう言う犠牲者はきっと無くならない。
いっその事「もう十分に便利だからこれ以上の便利さの追求をやめましょうよ」なんて言ったところで誰が聞いてくれるでしょう。
もう社会の方向性は決まってしまっていて、ただただ突っ走っているだけの様にも感じます。
一体その先に何があるのでしょうか。
追記)
お亡くなりになられた方々の命も私の命も全く同じ。
明日は私や私の家族の番かもしれないと思うといたたまれない。
私も車好きではありますが、若い頃と比べて視力が落ちた事もあって飛ばす気になりませんよ。