ビリヤードで筋肉痛

ビリヤードにはまった中年男の奮闘記 時々車の事も。

自分は特別ではない

皆さんおはようございます。

今日は、漠然とした愚痴で申し訳ありません。

 

 

仕事をしていても、遊んでいても、普通の生活をしていても。

何をしていても、「自分だけは特別」と思っている人がいる。

ある意味、その意識の強さがプライドと呼ばれる物なのかも知れない。

 

子供の頃はそう思っても仕方がないと思うのですよ。

何しろ自分で分るのは、自分の意識しかないですから。

考えたり、喜んだり、泣いたり。

その様な心の動きが自分だけの物の様に感じる。

(と言うより、他人の事に思いが及ばない)

 

でも、成長するに従って人も自分と同じと気がつく。

自分と同じように喜んだり悲しんだりしているんだという事が分かってくる。

そうすると、そこに平等とか尊重、思いやりとか言う概念が出てくる。

”お互い様”って言う感覚です。

 

世の中は自分と同じような人たちの集まりでできていて、周りとの繋がりとか関係で動いているんだとわかる。

そう言う精神的な成長と言うのは、保育園や小学生の頃から徐々に積み重なってきているものですよね。

自分で気がつくことが出来ない子には親や教師の指導が入る。

 

でも実際、生活していると70を超えた老人でさえ「自分だけは特別」と思っている人が大勢いる。

問題は、そういう人たちだと思うのですよ。

自分が成長する段階で、上記の「平等とか尊重、思いやり」などの概念を一度は学んできた人たちが、今度は自分の選択でそれを無視している。

無知のゆえの行動ではなくて、分かったうえでやっている、確信犯。

 

車に乗っては、自分が先に行かねば気が済まない。道路は私のもの。

交通ルールは人のためにある。

高速のPAの優先場所は自分のため。

買い物に行っては自分が1番安くて良い物を手に入れられるはず。

最優先で接客してもらえて、台風で閉鎖していても自分だけは飛行機に乗れるはず。

病院行って医者に診てもらっても、医者の言うことを聞かず、自分だけは人と違う特別な治療を受けて治るはず。

 

そんなわけあるか!

 

一体その感覚というのはどこから来るんでしょうかね。

究極の個人主義というか、まわりから見ればただのキチガイですよ。

 

昔から世代交代に関して言われ続けている言葉があります。

「最近の若いもんときたら・・・」

いやいや、あんたらも十分におかしいですって。

 

若いもんに限ったことではなく、どの年代にも一定の割合でいるんだと思います。

しかも、潜在的にはその感覚はほぼ全員にあるはず。

私の中にも同様の感覚がある事は十分に自覚している。

その自分中心の欲求を理性で押さえつけて生活しているんですよね。

(みっともない行動はとりたくないという形でのプライドってのもありますね。上で出てきたプライドと正反対だ。)

 

みんな同じなんです。特別な人なんてほぼいません。

しかも、自分自身が「特別な存在」なんてことはありえない。

仕事や立場こそ違うけれど、みーんな同じ。

どれだけ一斉を風靡して活躍した選手でも、芸能人・政治家・実業家でも何も変わらない。

 

自分の中のその弱さと言うか、傲慢さというか、今一度考えてみましょうよ。


追記)

これを書くきっかけになった、昨日起きた出来事が先ほどあっさり解決してしまったため、荒かった鼻息も収まってしまいましたが、自戒の意味も込めて投稿。