ビリヤードで筋肉痛

ビリヤードにはまった中年男の奮闘記 時々車の事も。

後悔と成長

ビリヤードに限らず、人生の中で後悔はたくさんありますよね。

ある意味ビリヤードにおける後悔など、どうって事はありません。

最悪でも負けるだけですのでね。

多くの人にとってはたかが趣味。

(多額のお金を賭けたとかと言うのでなければ)

 

人生における後悔と言うのは時に取り返しがつかない事態を招きます。

そんな事にならない様に気を引き締めて生きていきたいものです。

 

さて、その後悔ですけれど大きく分けて二つ。

「やってしまった後悔」と「やらなかった後悔」。

 

前者は、「余計なことをしてしまった」とか、「常識外の事をやってしまった」

と言うやつです。車で人をはねてしまったとか、言わなくて良い事をズケズケと言って人を傷つけてしまったとか。

自分がした事への後悔ですね。「やっちまった」と言うやつ。

 

反面、後者は当然するべき時に「それが出来なかった」「行動に移せなかった」と言う場面。

肝心な場面で動けなかった、言えなかった、固まってしまった。

簡単に言えばビビリですな。

 

世の中には、ひき逃げをしてしまった挙句、その被害者の救護をするべきなのを放置して逃げてしまう様な上記を同時にやってしまう人も度々耳にします。

 

後悔の大きさとしてはどうなんでしょうか。

自分の行動のために起きてしまったトラブルと、行動しなかったために起きてしまったトラブル。

 

ビリヤードでも似た様な事が起こり得ます。

守りに入ってセーフティーしたけれど失敗して丸見えで、かえって相手にチャンスを与えてしまったとか。

見栄のために不相応な難しい攻めをしてしまったがためにミスをしたとか。

 

上手くいかなかった、ミスをしたからこそ「ああすれば良かった」だの「やらなきゃ良かった」だのと思うわけです。

そのミスの中に、選択は間違っていなかったが上手くできなかっただけと言う事は良くありますよね。

逆に言えば、成功したとしてもたまたまその時は上手くいっただけで、選択としてはまずかったかもと言う事もありえる訳です。

 

上手くいけば「これで良いのだ。」という経験に基づいてそれを繰り返していくことになります。

そうやって繰り返して選択された技術と言うのは上達していきますし、その積み重ねでその人のプレイスタイルというのができあがっていくのでしょうね。

 

ただ「うまくいかなかったから選択の間違いだった」と考えるのは早急で、

そのミスの本当の原因を考える必要がありそうです。

 

①その選択は合理的な物であったか

②複数の選択肢があった場合、その難易度から見た優先順位はどうか

③ミスをした技術的な原因は何か

④自分の好み

 

などですが、最後の④もかなり判断に影響しますでしょ?

私と同じようなビリヤードを楽しんでいるアマチュアプレイヤーのうち、多くの人が難易度を無視して「撞きたい玉」を選択してしまう傾向があるのではないでしょうか。

 

もちろんproになるわけでもなく、基本的にアマチュアとして楽しんで行くのであれば「撞きたい玉」を撞いていても良いですが、それでも上昇志向があるのであればそうとばかり言っていられません。結果を出したい時もあります。

一つの玉に対して存在する複数の選択肢を、どれでもある程度使えるように練習していくと言うのは大事な事だと思います。

 

追記)

先週末から私は暗黒期に突入しておりまして。何をしても上手くいかずに落ち込んでいます。一つの原因にアルコールが関係していると思われ、「撞く日は休肝日」というのをやってみようかな。