break”出来たっ”って感じですが、私の場合は全然あてになりません。
ド真っすぐでも飛ばしますからねw。
何だかんだ取り切れましたが、いつも書いている事ですが遠目遠目の取り方です。
と言うより、見る限り「寄せよう」と言う意識がほとんどないような気がします。
敢えて言えば⑥→⑦位は寄せていますが・・・ちゃんと意図しているのかどうか。
特に強さに関しての意識を心掛けて行かなくてはいつまでたっても同じことをしているだけですよね。
最後の⑦→⑨ わずか右振りでピシャッと止めれば良い訳ですが、下手すると⑨番についてしまう。いっその事もう少し引いて⑨の(画面)左上に出そうかとも思いましたけれど、こういうのって無性に撞いてみたくなりません?
①→② 結構抑えて撞いているつもりですが、よく転がる事。バタの方が安全です。
ちょっと気を抜くと(と言うより何も考えていないと)すぐに1クッションに行ってしまいます。
②→③ とか言いながらこれはバタに行ってますが、なんだ・・サイドを跨がないのかい・・。
③→⑤ cutして玉なりのバタ。これはnice。
⑤→⑦ ちょっと余計な右を入れたのでしょうか。危なく⑦を蹴りだすところでした。
⑦→⑧ 引き
⑧→⑨ 左下1クッション
⑨ さすがに入れなきゃいけません。OK。
追記)
今の世の中いろんな事が問題になりますでしょ?
コロナの問題や政治的な考え方だとか、民族的な問題だとか。
人間が二人いたら、その間には必ず違いがありますよね。
恋人だろうが、夫婦だろうが親子だろうが・・・全く同じ考え方や人生観を持っているという事はあり得ません。せいぜい似てるってくらい。人が自分の自我を持って生きている限り、全く同じと言う事はあり得ません。
人数が多くなった集まり同士なら尚更です。
人間社会の常である意見の相違。
それが原因になっていさかいが起きる。
その根本と言うのは意見の相違そのものより、お互いの態度と言うか、議論の中の態度であることが多いような気がするんです。
正反対の意見の持ち主の間でも、その話し方、人間性、相手を思いやり理解しようとする態度。
その接し方によって、議論の方向性が変わっていく。収まるものも収まらない。
「考えが違う人は敵である」と言う前提をやめてみませんか。
自分と違う考えの人の意見も聞いてみる。自分と違う生き方を想像してみる。
頭ごなしに否定しないで理解しようとしてみる。
それは自分が経験していない事柄をたくさん含んでいるわけで、当然ながら馴染めませんよね。
でも、馴染めないからと言って間違っているとは限らないし、住んでいる場所や国によっても人種や性別によっても違うでしょう。
自分と考え方や意見が違う人とのやり取りと言うのは、ある意味違う世界を学ぶチャンスでもあるわけです。
最初からケンカ腰ではなく、相手の言っている事を理解しよう、相手の立場になって考えてみようという態度は非常に大事だと思います。
その上で自分が出来る事は何なのか考える事。
もしくは相手にしてほしい事は何なのか。
お互いの立場を尊重しながら、お互いにできる事を探っていく。
それが”交渉”と言う事なんだと思います。
何もその考えに染まらなくても、相手の立場を理解する、尊重するという事が始まりのような気がします。