⑤→⑦ もう少し右捻りを入れて⑦に厚く出来ていれば何も問題はなかったはずです。
⑦→⑧ 左フリにしてしまい、下の短への1クッションに行きましたが本当にこういうのが下手。こうやって動画を見ている分には⑦番へのストップショットをするつもりで(もちろん振りがありますので手玉は下に流れますが)撞けば、90度分離で短に入るはずなんですが。
そこまでは良いとして、問題は「ストップショットをするつもりで」撞いた時の強さで1クッションして戻ってくるかという事です。
出しのためには手玉のスピードも考えなくてはいけませんかんらねえ。
動画の場合はshotの強さに対して撞点が低すぎたという事です。
そうなると、あらゆる強さでストップショットが出来る練習をしなければいけないという事ですよね・・・。
こう言うのはほんとセンスが問われますが、その手の才能は私には・・・ないなっ。
②→③ クッション際からで押すしかありませんが、もう少し厚く出したかった。
③→④ 出来るだけ厚目に当てて引きますが、引き足らず。
④→⑤ 右撞いて1クッションで⑤の右側に出すか、左下撞いて⑤の左側に出すかなかなか嫌らしい。
これを殺し気味に撞いて上手く⑤をかわせました。nice shot。
⑤→⑥ 押し1クッション
⑥→⑧ トロトロ
⑧→⑨ 左上撞いて2クッションのライン出し。スクラッチが危ないですが、そこのクッションに入れないとライン出しにならんし。
⑨ OK
まずまず。
追記)
news.yahoo.co.jpこんな記事がありました。
私は難聴ですが、まあ普通に生活出来るレベルの難聴。聞こえなかったら聞き直せばいいだけ。聞き直しても聞こえない事が時々ありますが、それは「補聴器を着けるのがめんどくさい」と言うただの私のわがままに原因があるので、周りの人のせいではありません。私自身の問題です。
世の中には障害のある人はたくさんいて、私の様に許容範囲がある人ばかりではありません。
そういう意味では、私も普通の人と比べれば劣っている部分があるにもかかわらず、もっと深刻な障害がある方々の気持ちが理解できていない事が多いと思います。
この記事を読んで思ったのは、障害がある人も”人”であると言う極普通の事。
誰でもその時々の気持ちの状態だったり、”困り度”と言うのがあるわけで。
それが障害のあるなしには関係ありません。
五体満足であろうがなかろうが、助けが必要な時に助けてくれたら嬉しいですよね。
一方で、人に係わって欲しくない状況と言うのも同じくあるでしょう。
特に、赤の他人にはね。
関わりすぎも良くないし、無関心も良くない。
一番良いのは”他人の状態を気にしてあげる事”が大事なんだと思います。
困っている様なら手伝ってあげれば良いし、必要なさそうなら見守ってあげるだけで良いのでしょう。
中には困る事が起きるのではないかと見守り続ける人もいるのでしょうが、それが障害がある人にとっては重荷になったりストレスになってしまう。
自分の障害を再認識させられたり思い知らされたり、「実際できないだろうと世間に思われている事」が嫌なんだと思います。
余計なお世話と言うやつです。出来なきゃなんだとね。
障害があるなしに関係なくちょうど良い距離とか関わり方と言うのが良いんですが、人それぞれそれも違うんで難しいですよね。