ビリヤードで筋肉痛

ビリヤードにはまった中年男の奮闘記 時々車の事も。

命の重さとは

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①→② そこそこ薄いcut。②番も動いて・・・良い所へ行ったと思ったら入ってしまいました。

③→④ 引かなければ⑦番に当たってしまいます。それで引いて短長の2クッションがしたかったのですが、スクラッチも怖い。それでもっと引いたら長短の2クッションになってしまいました。

④→⑤ 土手で引けないので押して我慢。

⑤→⑦ ほぼ止め。

⑦→⑧ ほぼ真っすぐで、引きの1クッションでセンター上あたりに出そうとしたら、やたら引き過ぎてとんでもない所に出してしまいます。

⑧→⑨ サイドにcutして手玉は2クッション。

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これ・・・スクラッチします?動画を見る限りは赤ラインで行けそうなんですが、現場では危ないと感じているようです。それでいっそのこと右下撞いて短の1クッション(黄)で行きましたが、全然だめ。

 

なかなか思うように撞けない玉が続いて、やっと何とかなりそうな配置になったとたんに⑦→⑧のコントロールのへぼさが目立ちます。
 

www.youtube.com①→② 押しのバタバタ。⑦の右に出そうとしていますが、⑦に当たってしまいました。でもまあ、想定内。

②→④ 押し1クッション。怪しい入り方。

④→⑤ 左上1クッション

⑤→⑥ 下右目撞いて1クッション

⑥→⑦ 右下撞いて2クッション

⑦→⑧ 右上撞いて2クッション

⑧→⑨ 右下撞いて殺し気味

⑨ 入れてOK

 

追記)

www.sakigake.jpDaigoさんの”差別発言”で炎上したとのニュース。

自分にとって必要の無い命は軽いんで。ホームレスの命はどうでもいい。」

何かホームレスや生活保護の方に嫌な思いがあるのかどうか知りませんが、さすがにyou tubeでの発言としてはまずいです。

 

生活保護を受けている方が、それを当然の権利としたり、パチンコに出かけて生活保護にも娯楽が必要とか言っているのを聞くと、税金を払っている側としては確かに良い気分はしません。

生活保護を受けまいと自力で頑張っている方々もたくさんいて、その人たちの生活費より生活保護費が多いなんて例もあるようですし。

 

私たちは、「人間はみな平等で、誰の命の重さも同じである」と教えられて育ちますが、それが口先だけのものであって、大人になれば現実はそうではないという事も分かってきます。

その”命の価値”とは何ぞや。

 

命の価値の基準は一つではないと思うのです。

例えば、

①個人的な繋がりとしての価値:自分の家族や親戚、友達とか、お世話になった方々の命は、見ず知らずの人の命より大事に感じます。

②社会的な価値:社会にどれだけ貢献しているかによる価値。

③今後の可能性として期待される価値:子供たちとか、今は社会に貢献はしていないけれど、努力次第でそうなる事が見込める場合。

④生物としての普遍的な価値

 

①②③は人間同士での価値の比較で、④は動物を含めて存在としての価値です。

 

Daigoさんの価値観とは「自分にとって必要のない命は軽い」と言っているように、「自分にとって大事なものかどうか」「自分に有益かどうか」と言う①の視点の様です。

「自分に有益な人には価値がある」=「自分のためになるものは好き」=「自分が一番大事」

それは、一番単純で幼稚で利己的な価値観ですよね。

それを裏返せば「Dagioさんが生きても死んでも関係がない人にとっては、Daigoさんの命はどうでも良い」という事に他なりません。

そう言う考えの究極は、「戦争や災害で沢山の方々が亡くなっていても自分に影響がなければどうでも良い」となるのでしょう。

 

「誰の命が、より価値があるか」と問われた時、その価値と言うのは誰目線なのか?

その価値の判断は人がするべきではないと思います。

判断と言うより、その判断に基づいた行動ですがね。取り返しが付かなくなりそうです。

(緊急事態での究極の選択を除いて)

 

話は飛びますが、上の④に関して。

「地球上の生物を支配している人間の命は、動物の中で一番高い知性を持つがゆえに他の動物より価値がある」と言うのが私たちの基本的な考え方ではないでしょうか。

人間が牛や豚やヤギなどを殺して食べるのは当たり前であるとね。

欧米ではクジラは知能が高いから食べるべきではないと言われて、ある団体は捕鯨船を攻撃し、クジラより知能が高いはずの人間を攻撃する矛盾。 

 

私は過去にも書いたことがありますが、「人間に天敵がいない事が問題」で、そのために人間が好き勝手をして地球を破壊していると考えています。

誰にも人間の欲を止められない。

 

良くあるベタなストーリーではありますが、UFOに乗って地球に来られるほどの文明と技術と知性を持っている生命体が地球にやって来たとします。

当然、人間の技術では対抗できません。

で、その知的生命体が人間を餌として食べ始めたとしたら・・・・。

 

結局、それは現在人間が動物たちにしている事と同じ事。

ただの弱肉強食の力関係ですから仕方がないですよね。

それで人間は納得するのか・・・?

今、動物たちも納得などしていないでしょうけど、現実に人間はそれをしているわけです。

 

だからと言って、私は肉食をやめろとかそういう事を言いたいわけではありません。

ある程度仕方がないと考えています。しかし、病気になるほどの過食をしたり、肉を無駄にして破棄したり、感謝の念もなくそれが当然であるという感覚には抵抗があります。

人間が感謝したところで、犠牲になっている動物たちにとっては何の意味もなく、許してはくれないでしょうけれどね。

だって、人を食う宇宙人に感謝されて許せます?

せめて感謝しながら食えなんてのは全て人間の独りよがりです。

 

父が良く言っておりました。

「肉を食わず、植物から肉と同じ栄養素を取り出して人工肉を作れば良いだけだ。そんな事は技術的に出来るじゃないか」

そうだよね。既にあるし。