ビリヤードで筋肉痛

ビリヤードにはまった中年男の奮闘記 時々車の事も。

命の重さは・・

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⑤→⑥ この位の振りであれば、⑥に少しフリはつきますが引いて殺しておけば良さそうにも見えますが、右下撞いて1クッションに行っています。

しかし⑦の下に1クッションさせようとしたのか上で1クッションさせようとしたのか

(⑥をサイドか右上どちらに入れようと考えたのか)分かりませんね。

結局、手玉も中途半端に⑦に当たってスクラッチです。

 

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途中で娘が出て来ますね。

⑧→⑨ 斜めのバタで⑨に出したいのですが、外すわ強すぎだわスクラッチだわで何一つ良いことなし。

 

追記)

絞首刑は「残虐」か 死刑囚3人が執行差し止めを求め、国を提訴(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 

死刑囚が「絞首刑は残酷だからやめろ」と国を提訴したとな・・・。

私は「人は平等である」と言うのが基本だと思います。

それは犯罪の被害者と加害者の間であっても。

加害者が被害者に対して行った野蛮で残酷な仕打ち(精神的にも肉体的にも、社会的にも)は、そのまま加害者が被ってこそ平等で、やっと被害者と対等の立場になれるのだと思います。

 

何はともあれ、コメントにある「この手の話が、法曹界や一般市民から上がるならまだしも、死刑囚から出てくることに憤りを感じる」と言うのが、普通の感覚なのではないでしょうか。

「残酷だからやめてくれ」ですと・・・?あなた方は何をして死刑囚になったんだっけ。

 

世界の死刑制度の現状 - Wikipedia

 

108カ国が廃止した死刑をなぜ日本は続けるのか? 「世界死刑廃止デー」に刑罰の本質から考える:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

 

死刑に関するQ&A : アムネスティ日本 AMNESTY

ヨーロッパでは死刑制度が廃止されています。

その理由は・・・

①死刑が犯罪の抑止力を持つことを裏付ける研究はない

②人道的見地

③冤罪の可能性 などらしいです。

 

そもそも、凶悪な犯罪を犯すような人物は、刹那的な思考の人が多いのではないでしょうか。「自分がこの犯罪を犯せば最終的にどうなるか」と考えるより、「今の自分が良い思いが出来れば良い。後はどうにでもなれ」って奴です。

そう言う人に対しては死刑制度は抑止力にはならないだろうと思います。

③の冤罪に関しては、確かに問題です。しかし、誰が見ても明らかな凶悪犯罪(現行犯など)に関してはねえ・・・。

②番に関して、被害者は権利だのなんだの言う前に被害に遭っているわけで、なぜ今さら加害者の人道的な物を考慮しなければいけないのか。個人的には「凶悪犯罪を犯した時点で、既にその人物は”人であることを自分からやめている。人としての権利を自分から放棄した”と考えて良いのでは?」と思います。

法を無視して重大犯罪を働いた加害者(まさに無法)に、いまさら法の”権利”を主張するのは・・・。

 

「強盗殺人の現場で、殺人犯が警察官に射殺された(日本ではありえないでしょうが)」と言った場合。強盗殺人犯に同情する人はおらず、自業自得だと思うでしょう。しかし、その場で逮捕され裁判を受けて死刑囚となったら・・・。時間が経ったら人権が発生する訳ですか?被害者の人権はどうなの?? 

時間が経ったことで自分のした事を見つめなおして謝罪する、改心する。そういう事はあり得るでしょうし、そういう人を死刑にしたくはない気持ちは分かります。せっかく改心したのに残念ですよね。しかし、有無を言わさずに殺害された被害者は?残念、無念で済まされているじゃないですか?

 

一番おかしな論調は「他のたくさんの国が死刑を廃止しているから」という理由です。

まさに、自分で考えずに”右に倣え”。それって先進国?

文化も宗教も違う国で考え方が違うのは当たり前。

命を扱う大事な問題です。

それぞれ主権国家なのですから、自分たちでよくよく検討して決めるべきで、他国にどうのこうの言われる筋合いはない。

 

話は変わりますが、時々信号無視して交差点を通過していく車をみます。

それを見ながら、私変な想像をするんです。

ルールを破ったら、絶対的な力によっていやおうなしに代償を払わなければいけないという想像。

⇩こんな感じに


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ライジングボラード」って言うらしいですね。

誰が見ても違反者のバカな行動によってもたらされた状況で、周りの人は笑いますよね。それが嫌ならルール(法)を守れば良いだけなんですがね。

 

命がかかっているだけに問題は深刻ですが、「罪がない被害者の命」と「自分の欲に任せて行動した犯罪者の命」とどちらを優先するかは、私の中では決まっています。

もし一時の過ちであったとしても、加害者と言うのは自分の行動の代償を払わなければいけません。代償を払うのは被害者ではあってはならないのに、被害者は泣き寝入りです。

”今現在すでに亡くなっている(被害者の命)か、生きている(加害者の命)か”と言う問題ではないと思うのです。