ビリヤードで筋肉痛

ビリヤードにはまった中年男の奮闘記 時々車の事も。

最大の過ち

www.youtube.com⑤→⑥ 危ないですが上手く出せました。

⑥→⑧ 若干左フリで、引くとスクラッチがチラつきます。

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ただの押しで行けそうですが、余計な右捻りを入れたことで最悪な結果になってしまいました。

めげずに空クッションで行きますが、この残りなら取られてしまいますよね。

 

www.youtube.com

このラックのミスは⑥→⑧です。

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撞点を下げて↑こう行けば何てことありませんでしたが、トロトロ押しでギリギリ⑨の陰にしてしまいました。

⑧→⑨ 左カーブ掛けて何とか入れはするものの、イレイチ。

⑨→⑩ この長いやつを飛ばして終わり。

うーん。きっかけはいつもなんて事のないshotなんです。

 

追記)

news.yahoo.co.jp

核のない世界。それは素晴らしい事だと思います。

しかし核を持つ国が複数存在し、日本はアメリカの核の抑止力に守られているのが現状です。

 

私たちのそれぞれの個人や家庭には、家庭なりのルールや決め事がありますよね?

個人や家庭はもっと大きな集まりである、街だとか市だとかの決まり事や、国の決め事である法律とか条令といったものに従っているわけです。

一般人は銃を持ってはいけないとか、麻薬を使用したり持ってはいけないとか。

当然、それに違反した場合は罰せられる。

 

なぜそれと同じ事を世界で出来ないのだろうか。

世界中の国々をまとめる国連で「そこで決めた事は政治的な立場がどうであろうとも絶対的に従わなければいけない」。

従わない国は、法律で国自体が罰せられる。

そういう基本的な決まり事を作れば良いだけと思いますが、現実には国連にはそんな力はないし、核保有国は核兵器を放棄する気はサラサラありません。

 

たった1発の核ミサイルが、どこかの人物の気まぐれで発射された事で(もしくは何らかの間違いで)全面核戦争の引き金になり得る。

そしてひとたび始まれば地球が本当に滅ぶ可能性もあるわけです。

「そんな兵器はお互いに使わないと言う約束をしましょうよ」って事が出来ないんですよね、今の世界は。

その理由と言うのは、突き詰めれば国や人の”欲”や”不信感”だと思うんです。

他の国と比べて優位に立ちたいとか、領土や資源などの権利が欲しいとか、自分たちだけ武装解除させられて本当は騙されているんじゃないかとかね。

 

核兵器保有や使用を全面的に禁ずる核兵器禁止条約」がもしすべての国に適応されるような状況になったら、現状と比べて何が都合悪いのか?

例えば北朝鮮などは現状の方が都合が良いのかもしれません。

国力がない中で、他国に対して何かを主張して交渉の材料に出来るものは核しかない訳です。

 

個人の喧嘩でもそうですよね。

強いAと弱いBが銃を持って戦うような場面を想像します。

お互いに銃をもって打ち合えば死人が出る可能性がある。

「そんなのはバカらしいから、銃を使わず素手だけで勝負をしよう」と誰かが仲裁する。そんな時に、弱いBはわざわざ銃を手放して強いAと素手で喧嘩を挑むかと言えばそりゃないでしょう。

銃を持っている事で、やっと強いAと同じ土俵で戦えるのに、銃を捨てろと?

Bに銃を放棄させるためには、最低でも「銃を放棄してもAはBを殴ったりしない」と言う条件を付けなければいけません。そうでなければBは強いAにたちどころにやられてしまいますからね。

 

結局は一度持ってしまった核兵器を放棄させるには、それなりの見返りがなければ放棄しないでしょう。

核兵器がない世界」というのは素晴らしいですが、実現化するにはなかなか難しそうに思います。

 

そうやって考えると、ただただ科学技術を追求しその延長で開発してしまった事が人類の最大の過ちではないでしょうか。

今さらですけど。

 

そして、日本はたった一つの被爆国としてするべき事があると思うのですがね。

逆に言えば、兵器として使ったことがあるたった一つの核兵器使用国アメリカも、やるべき事はあるはずです。

 

追記2)

先日ドラマが面白くないと書きました。

ちょっと反省しています。特定のドラマの話でして、あくまでも個人の感想ですので気にしないでください・・って誰に言ってんだかw.

 

この秋のお気にいりは、「SUPER RICH」と「恋です!」かなw。

私は江口のりこさんが好きでしてねw。

「恋です!」の方は、おちゃらけたドラマの様でいて、結構大事なメッセージがところどころに込められています。

弱視”と言うハンデを負った子のお話ですが、社会での大変さがよく分かります。

本当の苦労がどういうものかは到底想像もつきませんが、こういうドラマの中にそれを練り込んできたというのはある意味画期的だと思います。