ビリヤードで筋肉痛

ビリヤードにはまった中年男の奮闘記 時々車の事も。

責任とはなんぞや

www.youtube.com①→② 引きの1-2クッションで②⑨の間か⑨の右脇あたりに出す・・・?

そんなの無理っ!って思いながら撞いたら⑨に当たって理想的な所に出ました。

そうか・・⑨に当てるのもありなんだな・・・。と思えども、当てに行けども当たらないのはいつもの事ですがな。

②→③ ちょい左撞いて1クッション

③→⑤ 引き

⑤→⑥ 押し1クッション

⑥→⑦ 左撞いて斜めのバタ・・ちょっと強すぎでフリが少なすぎか?

⑦→⑧ ⑨の右上に出そうとしますが、振りの程度と撞点・強さ加減・・だめですねえ。こういう玉は練習をしているかしていないかすぐばれます。

⑧→⑨ バンクに行くも入りませんでした。

 

www.youtube.com④→⑥ 左下撞いて1クッションですが、⑥に逆フリにしてしまいました。

⑥→⑦ 押しの1クッションだと⑨に当たってどこ行くか不安なので弱めに・・・中途半端だなあ・・・。止めりゃ良いのに。

⑦→⑧ 右下で1クッション

⑧→⑨ 少し前へ

⑨ OK

break 手玉引けちゃいました。

①→② 左撞いて弱く1クッション

②→④ 押し1クッション

④→⑤ 押し1クッション

⑤→⑥ 引いて流していますが・・・弱い。しっかり横出しして⑥は左下コーナーに行くべきでしたか。

⑥→⑦ 短の1クッションに行きましたが入りません。

構えてからちょっと左を入れた方が良いかな・・・とか、ダメですね。

 

追記)

最近はまた小さなお子さんの事故のニュースが続いています。

自宅で数分目を離してしまった間にいなくなってしまったお子さんのニュースとか

通園のバスの中に置き去りにされてしまったニュースとか。

 

こんな記事を目にしました。

news.yahoo.co.jp「子どもたちを乗せたバスが学校に到着し子どもたちが降車するのを見届けると、ドライバーはエンジンキーをイグニッションから抜く。

その瞬間からバス内にアラームが鳴り響く(10分以上の走行後のみ)。このアラームを消すためにドライバーはバスの最後部まで歩いてアラームを解除(リセットボタンを押す)する必要がある。

リセットボタンを押す際に最後部まで行く間、一席ずつ確認して子どもが眠ったまま残っていないか? シート下に隠れたりしていないか? 確認しながら歩くことになる。

カメラやセンサーではなく、ドライバーが一席ずつ歩いて子どもたちが車内に残っていないかを確認する。そして、ボタンを押すという作業を最後におこなう。

その後、ふたたび運転席に戻るまで、もう一度シートや車内を確認することもできる。

アナログなシステムではあるが、確実に子どもの置き去りを防ぐことができる。」

 

この様なシステムでも”手抜き”は可能です。

しかし少なくともアラームを切るためにバスの後ろの席まで往復する必要があるわけで、よっぽどのことがない限り残った子供を見つけられないという事態は起きなさそうですよね。

 

「こういう事故があってから、子供にクラクションの鳴らし方を教えている」というコメントもチラホラ見かけます。

無人であるはずの”バスに何らかの理由で取り残された乗客(子供とは限らず、また怪我などして動けるとは限らない)が外にサインを送れるシステムが欲しい所です。

 

こう言う事件に限らず、感じる事があります。

「責任は私にある」とか「私が責任を取る」とか言いますでしょ?

いつも私が思う事は、「どうやって責任を取っているのか」「それで責任を取ったことになるのか」と言う事。

 

今回の事故であっても、園長が免職になり、(たとえ何らかの罰が与えられたとしても)数年で普通の生活が出来てしまうわけです。

別に復讐とかを推奨する訳ではありませんが、”目には目を”と言う言葉が頭をよぎります。この3歳児は5-6時間も灼熱のバスの中に放置されたわけで、その苦しみを少しは自分で味わってみてはどうかと思うのは私だけではないでしょうね。

「そんなことをしても亡くなったお子さんは戻ってこない」「お子さんは喜ばない」

と言われるでしょうが、全くの他人である私でさえ押さえきれない感情を感じるんです。